浅草にちっちゃな小屋ができるまで  新旧「若者たち」

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新旧「若者たち」

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いつの時代も大人が「今の若い者は…」という言葉を話の頭につける時、その言葉の後は、たいがい批判的な言葉が続きます。先日テレビを観ていたら、90歳を過ぎた方が「今の若い人はすごいよ。いろいろな事を考えて、すごく参考になるよ」と話されたその方のなんと若々しいことか。年齢に関係なく柔軟に相手を受け入れられるのは、現役で何か目指すものを持っておいでだからなのでしょうか…

「昔の大人は…」と言うのも大人たち。「昔の大人は、格好良かった」「怖かった」「物知りだった」「何でもできた」と憧れを臭わせ話す時、自分たちを自嘲し「しっかりしろよ」と昔の大人に叱られたいのか…。思い出して少しだけ勇気づけられたりしているのかもしれません。

「今の大人」は若者にどう写っているのでしょう。政治も経済も教育も、大人が胸を張れるものがないような今の世の中で、「格好良い」大人、「怖い」大人がどれだけいるのでしょうか。子供が「大人になって、あの人みたいになりたい」という大人は、「お金持ち」や「有名人」だけになってはいないでしょうか。鉋を上手にかける大人、大きな氷をのこぎりで割る大人、着物を着て雪駄で歩く後姿が格好いい大人、煙草を吸う姿が絵になる大人…。私は単純にそんな大人に憧れました。今の私たちは、子供や若者に「格好良い姿」を見せられているのだろうか。「ああいう風にはなりたくない」という反面教師にしかなっていないのではないだろうか。今思えば、大人の姿にただ憧れたのではなく、そこに大人の生き様を見ていたのではないだろうか。

「無礼」「非常識」「生意気」は若者の形容詞でした。体から棘がたくさん出ていて、世の中のあちこちにぶつかり傷つきました。大人から「無礼者」と怒られ、「非常識」と嘲られ、「生意気」と嫌われました。今はそうした対峙の構図は少なくなった気がします。「いい子の若者」が非常に多い。外に向け棘を出さず、自分の中に棘をしまい込んで、自分で自分を傷つけているように見えます。そんな若者たちを育てたのは、かつて「無礼で非常識で生意気」だった私たち。いったい子供たちに何を望み、どう生きる事を教えたのだろうか…

「何を成したかではなく、どう生きたか」を問うてほしいと思うのですが、願わくば私に関しては「どう生きたか」も問わないで頂けるとありがたいのですが…

何だか今日は、ボーとこんなことを考えていました。
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